バライロエンド
2008-06-28T02:29:04+09:00
clonecogang
あると煩わしいけど、人が持ってると羨ましくて仕方ないものなんだ→ブログ
Excite Blog
鈴木アヤ子のタダレた平日
http://barairoend.exblog.jp/8208043/
2008-06-28T02:28:43+09:00
2008-06-28T02:29:04+09:00
2008-06-28T02:29:04+09:00
clonecogang
雑記
他人のブログなんかを見ていたらなんだか羨ましくなるのが世の常というもので
様子がおかしい
まあいいんだけど
きょうで採点も終わり
何が恐怖って評価ね。
あ、鈴木は離島の高校教師から
地元の中学教師にランクが変わりました
ランクアップとかランクダウンとかはさておき
酒浸りの毎日で
全く痩せません
最近は酔うとうっとうしい
ところで最近
何を書いたかって結局青春巻き返しゲームだ
それにくわえて地元に就職なんかしてしまったので
幼稚園から高校まで多彩な同級生と酒を酌み交わす日々
ネタになるのはイイコトだけれど
砂の果実がやたらに染みるわ]]>
わたく詩
http://barairoend.exblog.jp/7122801/
2008-01-21T23:29:32+09:00
2008-01-21T23:29:33+09:00
2008-01-21T23:29:33+09:00
clonecogang
未分類
まさか命に関わらない。
書けないことは喜ぶべきか
煩悩だけが雨霰。
齢24となって
いまだ信仰すべき神が見つからず、
詳しい世界が定まらず
知ってる言葉で見事ごまかす。
書けないことは恥ずべきか?
書けないことを喜ぶべきか。
ああ、こんなにも欲求不満。
欲求が満たされず、それで食事に走ってしまうか。
何をもかにをも諦めて
それで聖職に就いたというのに。
だのに!
書けないことを恥じている。
書けないことを喜んでいる。]]>
なんにもかけないいい
http://barairoend.exblog.jp/6699916/
2007-10-28T20:55:43+09:00
2007-10-28T20:55:43+09:00
2007-10-28T20:55:43+09:00
clonecogang
雑記
洗濯してない。
ビール飲みたい
週末わかったこと
×××ホリックが面白いと云うこと。
赤灯エレジーが面白いと云うこと。
畜生温ビール飲んだる]]>
レビュー:センセイの鞄
http://barairoend.exblog.jp/6614313/
2007-10-12T22:46:56+09:00
2007-10-12T22:46:56+09:00
2007-10-12T22:46:56+09:00
clonecogang
本
なにとなく、本の話には食いつかないわけにはいかない。
それで一番はじめに思いついたのが「溺レる」だったのだけれど、印象はといえば何とも形容しがたかったので、はじめて読んだ川上弘美をタイトルにあげておく。
それは読んだことのない文体だったので、大変に思いが強い。ananで紹介されており、その頃のananはまだ白黒ページがあり、ブックコーナーは信用に値した。なにせエドワードゴーリーを初めて知ったのもananのブックコーナーだったのだから。ananも一時期のニキータ意識でガツガツと「負け犬」世代をターゲットにするのをやめてだいぶ落ちついたのでそれは良かったけれど、10年近く前のカルチャーを推し出す力は残っていなく、なおかつ、今日は川上弘美について書こうと決めているのでとりあえずその話は又後日、「バライロエンド」のほうで。
川上弘美を初めて読んだとき、あたしは高校生でそれまでもその時も先生ばかりが好きだったので、アワアワとした文体に潜む濃密な、かつ渇いたセンセイへの思いと、それからセンセイとの関係に憧れるばかりだった。会えるわけがないと知りながらツキコさんの真似をして、センセイ、センセイと雪の道を空を見上げて、父親と同じくらいの年齢の英語の先生を想って呼び続けたりした。
そのような情緒的なことはさておき、酒と食事の描写がすばらしいのが川上弘美のようだった。
「ようだった」というのは、あたしがすばらしいすばらしいと思っているというのに、様々なひとが同じように食べ物の描写を褒めるので、あたしの意見なのかどうなのかわからなくなってしまう変な嫉妬が出てくるからだ。
抜群にすばらしい。
先述「溺レる」においても「シャコ」「ビワ」「新香巻」……エトセトラエトセトラ
どれをとっても唾液が出てくる。
だいたい、食べ物の描写が素晴らしい話に外れはないのだ。なぜなら食べ物の描写が素晴らしいというだけで、一つの作品だから。美味しんぼよりも「ミスター味っ子」。あの肉汁の描写ったらない!!
食べ物の描写がすばらしい大賞・アニメ部門はダントツで「アルプスの少女ハイジ」。
山羊乳・白パン・暖炉であぶってとろけるチーズ・木の器…そして水。ハイジの家の外にある水道から絶えず流れる水!!!
食べ物の描写がすばらしいと云うことはそれだけで一つの「善」だ。「平和」だ。
わたくしごとだが、わたしは食べ物の味がわからない。「おいしい」「おいしくない」がわからない。
そんなロボットみたいな食事を毎日強いられているというのに、「ワカル」のだ。
それがぜったいに「うまい」ということが。
川上弘美の作品に出てくる飯。酒。肴。
あれは絶対にウマイのだ。実在してはイケナイのだ。手に入らなくて焦がれるためだけの食事。だからこその究極の美味。至福。
キノコに汽車土瓶入りのお茶、日本酒、ビール、湯豆腐、駅弁、冷や奴……エトセトラエトセトラ。
ここのところの川上文学にはうまそうな食い物が出てこない気がする。
それは先入観から来る期待はずれなのか、それとも読み飛ばしているのか。
ニシノユキヒコにはすでにうまそうな食べ物は出てこない。
どこかリアルなのだ。
あたし達はいつか本気でお菓子の家を食べたかっただろう。
チョコレートの窓枠、ビスケットの壁、キャンディーの窓ガラス……
口の中一杯に、現実には得られないのに何故かわかりすぎてしまう幸福が広がったはずだ。
そこにリアル(あるいはリアルを前提としたファンテジー)が介入してしまうなら、そんなものあたし達にも買えてしまう。もっとうまい物をきっと作れてしまう。
江國香織やよしもとばななのチルドレンでももっとファンテヂーだ。
ところでうまそうな食事を描く作家に武田百合子と内田百閒をあげておく。
彼/彼女を川上弘美は相当読んでいる。武田百合子の描く「ビワ」も相当うまそうだ。
だからあたしは「枇杷」を食べない。]]>
キャンディ
http://barairoend.exblog.jp/6522888/
2007-09-26T00:38:57+09:00
2007-09-26T00:35:45+09:00
2007-09-26T00:35:45+09:00
clonecogang
雑記
それでキャンディについて考えている。スウィートキャンディという名の白い薔薇のことや、飴玉を交換する少年のことを色々と考えているが、キャンディとはすなわち、お姫様なのだとぼんやりと思っている。その中の誰のことも決して好きには成らないのだけれど。そうして、初恋の人と結ばれるお姫様の名前。
キャンディキャンディはあたしの教科書で、バイブルなんて云いたくないから、敢えて教科書ではあるけれど別にそれに習おうってわけではない。ただ、ずっと悲恋の話だと思っていたのに大人になった頃、誰から云われたのかなんて忘れてしまったけれど、あれは初恋が実る話だよと云われて救われた。事だけを覚えている。
丘の上の王子さまとウィリアム大おじさまとアルバートさん。
子供心にウェディングドレスがみられないから物足りないのだけれど。
それでキャンディという概念を思っている。そこで詰まる。話はわかるんだ。取り巻きの男の子がみんなその子のことを大好きで、もちろん自分が好きな相手も大好きで、しかし自分が好きになった相手は不幸になっていく。それは初恋の君と結ばれるために。アルバートさんにとってキャンディは若紫だ。
アルバートさんには姉が居て、病弱で、アルバートさんが若い頃に亡くなってしまうのだけれど、それがアンソニーの母親で、二人は同じ女の幻影を追ってキャンディに行き着く。アンソニーは母の面影を重ねるけれど、アルバートさんにとっては結ばれることのない女性(=藤壷)の面影を持つ少女(=若紫)を、ウィリアム家を飛び出して放浪中に発見し、影ながらバックアップをする。
だから、キャンディキャンディはアルバートさんが若紫の後見人となり、紫の上(レディ)に仕立て上げていくマイフェアレディ的要素が主軸としてある事になる。そうして光源氏でなく紫の上を主人公に据えた物語だ。
と、書きながら気付いた。
と、いうわけで、マテリアルメモ。
いがりほのかの皆さん、ワタクシはこの線でいきます。]]>
あれは人の飲み物じゃないからね
http://barairoend.exblog.jp/6438136/
2007-09-10T23:55:32+09:00
2007-09-10T23:55:32+09:00
2007-09-10T23:55:32+09:00
clonecogang
雑記
絆創膏を買いにきたのだ。
ところで北海道では「サビオ」もしくは「サビヨ」っていう。
絆創膏といえばガーゼをとめるあのテープだ。
或いはカットバンという。
牛乳すら吐いてしまうがビールをたらふく飲んでいる。まぁ、吐いてしまうのだが、一向に痩せる気配がない]]>
校内殉死
http://barairoend.exblog.jp/6357540/
2007-08-27T23:43:03+09:00
2007-08-27T23:43:03+09:00
2007-08-27T23:43:03+09:00
clonecogang
散文
僕がさ、僕が聞いているよ。ちゃぁんとね。
とはいいつつこれは自己完結何じゃなくって?
――ハイライトは最後の一本だったというのに僕は再び車へ立ち返る
だからこんな戯れ言誰が聞いてるって?
僕がだと云っているじゃないの。さっきからそればかりだ。
屋上へ続く階段は非常扉と同じ素材の鉄で閉ざされており
その扉はあたしのサイズにピッタリだった。
160センチもない扉。
かがむこともなく、かといって高すぎもせず、ちょうどあたし一人が通るのにピッタリだった。
それなのに鍵がない。
――いいですか、二点には鍵がかかっていてこれを読むためには一点まで降りていって鍵をとるしかない。鍵をとったら脇目もふらず二点に舞い戻るしかない。それしか君たちに選択肢はない。
――上下点と一二点の関係は山括弧と括弧の関係とほぼ同等です。
それが四限目あたしが発した最期の言葉
屋上へと続く階段は重たい鉄の扉で閉ざされていて
その扉はあたしが通り抜けるのにあまりにピッタリだった。]]>
アレルギー
http://barairoend.exblog.jp/5882220/
2007-06-12T23:09:00+09:00
2007-06-12T23:09:50+09:00
2007-06-12T23:09:20+09:00
clonecogang
散文
銀助の頬を唇でなぞり耳朶を口に含むと狡いよといった。狡いと言って同じにするので私は必死にそれをかわす。銀助の口の中には何故かいつも飴玉が入っていて、その日は二人で分けて私が好きではないといって追いやったオレンジの飴玉。
もう戻れないのか。
オレンジの飴玉のことを思う。
ああ、なんだか味蕾を刺激するその酸味が疎ましかったのだ。
銀助。
銀助と二人で隠れてキスをしたこと。
銀助が名を呼んだこと。
ありふれた私の名を、呼んで会いたいと言ったこと。
銀助が寒がって掌を委ねたこと。
それから乳房に触れたこと。
それ以上はもうどこにも行けない。
姉であることを、自覚しなければならない。
どこにだって先には行けないのに。
結ばれてはいけない。ましてここは「おうち」だから。
あたしたちの、恋をする場所ではないから。
もし君が、大人になってそれで帰ってきて、錯覚ではないと、証明できたら。
アレルギーのようにしてあたしは銀助を思い
胸を高鳴らせ
体を火照らせて
そしていつでも眠たい。
銀助に明日会えるまで、そうして誰も寝静まった後で
ひっそりと口づけを交わすまで。
あたしはそれまで寝ていたい。]]>
小さなこ
http://barairoend.exblog.jp/5809639/
2007-06-03T23:41:32+09:00
2007-06-03T23:41:32+09:00
2007-06-03T23:41:32+09:00
clonecogang
雑記
私の名前は鈴木アヤ子。
恋人は「鈴木」と名乗っていると聞いて
すぐさま鈴木いづみから拝借したのだろうと見当をつけたが
そうではなくこれはあたしが手離せない同級生から
そうしてアヤ子は文子から。
緒乃文子という子がいたの。
文子とは直接の面識がない。
文子とは16の時に出会った。
文子は詩を書いていた。
文子はアタシが通いつめる詩のサイトで何度も見かけて
そのとき彼女はBABYと名乗っていたの。
こんなこと書いたら、怒られるのかしら。
そのような経緯で交流をするようになり
(どういうわけか彼女は私の書くものを好きといった)
そのときはリセット病でいくつも名前を使っていた私に
「クロエ」っていう名字なのかと思ったわといって
それでいまでは「黒江ウイカ」で詩を書いている。
文子は美しい詩を書いた。
あたしの詩なんていうものは、
文子と出会ってその先は
殆ど文子に気に入られるために書いたもので
未だに自分が書いた気がしない。
今年の2月頃電話があって
一人で飲んでいて思い出したの
といって何だかやかましいところから電話をかけているようで
それで5分としないで電話は切られてしまって
あたしは文子のアドレスをよく知らない。
生きてはいるようで、
だけどそのあと結局連絡を取らないでいる。
緒乃文子で検索をすれば
かの女が消し忘れた幾つかの詩が未だネット上に残っているが
かの女はすでにうたわないので
もう、アタシにはなにも書けない。書けないという危惧
それでふと文子を思い出したのは
もう、私は何も感じないのだな、と感じたためだ。]]>
恋百物語
http://barairoend.exblog.jp/5474658/
2007-04-08T18:32:00+09:00
2007-04-08T18:34:01+09:00
2007-04-08T18:32:00+09:00
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私信
例え話にはこれ以上を思いつかないんだ。
じゃあ、そうだな、僕がキイロという時に
僕のキイロと君たちのキイロは果たして同じだろうかということなんだよ
もっというと、「信号の赤」ということばを(それにまつわる暖色全てを)介して
僕らは「信号の赤」について共有するけれどそれは本当に同じものを見ているのか
僕らが全員「赤」というとき
本当は僕には世界中が「緑」と名付けているような色が見えているのかも知れない。
それで通じてしまっているだけかも知れないんだ。
このことについては、うまくいえないけれど
ことばなんていうものはその程度の曖昧さを持っていて
この世界に「確固たる」ものなんてない。
まぁ、その考えのせいで僕は「赤緑色盲」のしくみを
ついに理解することが出来なかったんだけど
そんなことはどうだっていいんだ。「赤」という言葉で通じ合ってれば問題はない。
これは理科の問題ではなくてどうやら哲学の領分らしいからね。
だから僕と君たちが全然違うキイロを思い浮かべていたとしても
ようは実物を持ってきてこの目で確かめればいいんだ。
全く問題はないよ。
ただ、その-実物を持ってきて確認する-ステップを踏まなくてもわかってしまうことがあったってだけだ。
今手元にはないし、それはあらゆる人間という人間に対応する
僕だけに与えられた特別な能力というわけじゃなかったけどね。
そうだよ。万人の言葉がわかりすぎるということではないんだよ。
ただ、それと見合うくらいの奇跡で、その奇跡のおかげで僕はある意味救われたんだ。
いやいや、そうじゃない。
僕ははじめに君たちに話したとおり
昔話をして誰かを責めたり、
嘆いたり、それこそ死にたくなったりしたいわけじゃない。
「ある」なんて思いもしなかったのに、「ある」としってしまって
だけどいまは「ない」ことなんて割にあるものだよ。
僕がいいたいのはそうではなくて、
ああ、そうだね。きっとそれも大切だ。
いま「ある」ものは「なくなること」も出来るっていうこと。
だけどね、ただ僕は
僕のキイロはもう誰かのキイロを救えないかもしれないことを
誰かが救おうとして
僕が救われないということを-もちろん僕が救われる気でいることが前提だ-
一度だってみたくないんだ
さ、これで僕の例え話は一旦おしまいだ。]]>
女の子と女の子
http://barairoend.exblog.jp/5425961/
2007-03-31T04:09:38+09:00
2007-03-31T04:09:38+09:00
2007-03-31T04:09:38+09:00
clonecogang
雑記
というのが流行っていた。
大学二年の暮れである。
酔っぱらっては
歩道橋の真ん中で
不条理ー!
とか
りふじんー!
とか
そういってゲラゲラ笑っていた。
男の子だと割と平気に二人で仲良くなれるのだけれど、
女の子となるとそうはいかない性分で
好きになりすぎてしまって、しかし
あの子にあれ教えてあげたい
とか
あのここれ好きそうだなぁ
とか思うもそれは恋でなく、
私にとってすら恋でなくもどかしく
どうすることも出来ない。
それで特定の女の子と二人で遊ぶなんてコトは私にはないので
実に珍しい一時期だった。
男のこといるか、
女の子大勢の中で俯瞰しているか
それが大変生きやすいポジションだったので
なんだか戸惑いながらも楽しかった。
まぁ、女の子は難しいのでそのような蜜月は長くと続かないし
私がこのような距離感を好んでいると言うことは
相手に引き寄せる力があるとしか思えず
それで大学生にもなってトイレに行くにも一緒
に近いような仲のいい友達が出来た
ま、普通になかいいけど。いまでも。
でも、普通に。
私のタバコのニオイを好きと言ってくれたのが嬉しかった。
カラオケに何時間だっていられた。
それで最後はちっさいぐちを
「フジョウリー」
という呪文に込めて笑った。笑って横断歩道の白いとこだけ選んで歩いた。
酔っぱらってるの足はふらふらでアタシは何回も地雷にやられる。
そんな私はここのとこ
世界全体を呪っている
「みんなチョコになっちゃえばいいのに」]]>
【掌編】僕の嫁
http://barairoend.exblog.jp/5425944/
2007-03-31T03:53:37+09:00
2007-03-31T03:53:37+09:00
2007-03-31T03:53:37+09:00
clonecogang
散文
鏡を見ながら嫁が呟く。
僕の奥さん(24)は覚えたての言葉を習得すべく悪戦苦闘しつつその実、嬉々としていた。
彼女の言語習得の過程を見ていると、精神年齢が一桁であることを実感せざるを得ない。
これは由々しき事態だが、僕はのんきに三ツ矢サイダーのガチャピンが前のと被ってしまって少し不機嫌だった。
だから不機嫌ながらに、それは恥ずかしい言葉だからね、と優しく諭すと、それ自体を面白がってバカみたいに「でかまらーでかまらー」と乾燥イチジクを食べながら呟いている。僕も真似して呟いてみるが、特に口に気持ちがいい物ではない。
かつての恋人は口の中が面白いーといいながら「クウィスペプラーです」とか「クェンティンタランティーノ」だとか「マリークヮント」などと呟く性分だったが、それとはまたべつの星の生き物を拾って、結婚してしまったらしいことにはうすうす気付いていたんだけれど今やっと実感としてわき上がってくる。
女の子の内結構大半は、理解が出来ない。
それは昨日まで好きだ愛している殺してくれと言っていたくせに朝目が冷めると突然、こっちが殺して欲しくなるほど冷たい態度をおとりになったり、「ねーこれどっちがいいと思うぅ~?」というときの大概は彼女の中で決まっていて当ててやらなきゃ機嫌を損ない、当てたら当てたで「エーでもこっちも可愛くない?」と結局誰かに文句を言いたくて仕方がないんじゃないかと疑わしくなるような理解の出来ない生態の話ではなく、いいかえるならある種類の女の子はおしなべて、皆理解の範疇を越える。
ちなみにうちの嫁の先週までの口癖は「波平カット」だったが(彼女の中では「ウルトラソウル」と語感が似ているらしくお気に入りだった。彼女にあんな「オッサン+短パン」に熱狂する趣味はない)
僕は黙々と食器を新聞紙にくるみながら引っ越しの準備をしているというのに彼女ときたらいつまでも「でかまらー」と唱えている。そう。既に呪文。
「魔依ちゃん、それは大きな男根という意味だからよしなさい」
再度いなすが、状況は好転せず。
時間は2週間前に巻戻る。
朝の便所から出てきた僕から新聞紙をひったくるとまず彼女はそれをば、匂う。
嗅ぐな。
どうでもいいけれども彼女の中では喫煙をしなければ便意をもよおせない僕はかなりダメな部類の人間で、そのようなニオイフェチみたいな真似を辞めてくれとは云えない妙な迫力とそれを受け入れる微妙な力関係で僕らは今日も幸せだ。
一頁ずつ丹念に匂いを嗅ぎ、この頁で踏ん張りましたかな?などと横目でじっとり見つめつつ(更にどうでも好いがこのときの顔がクレヨンしんちゃんに見えて仕方がない)
まぁ、恐らく新聞を読んでない。24歳・専業主婦。それは体の好いニート。だって家事しないんだもん、この人。
そういえば魔依は僕が朝方なんとなく見ていたエロDVDを留めた場所から巻き戻して見るという、二重の意味でのいやらしさを兼ね備えている。
新聞なんか読まない・ニュースなんか見ない(滝川クリステル以外は)というダメな方の人だと思っていたのだがどうやら彼女は広告欄や通販欄のバカさ加減が随分お気に召したようで、シャレにならない値段の蛇革の財布を買わせられそうになったことがある。
その日は何をそんなに熱心に見ていたかと思えば「春画」の通販であった。
「欲しいの?」
「ううん、いらないけどちょっと見てみたい。歌麿とかも書いてたんでしょ?」
博識がりたいのが彼女なので、一応合わせて大きなリアクションをとってやる。
単純にそれに喜ぶ姿を矢張り年齢が一桁では無かろうか、と疑う。
四捨五入がギリギリのくせに。
「持ってないの?」
「もってないねぇ」
「看護婦のとかないの?」
「看護婦は居なかったんじゃないか?」
「しってたけどね」
「そうだろうとおもっていたよ」
朝から意地の張り合いである。
会社の連中に入れてもらえてない井下くんのコトを僕は何だか嫌いじゃなくて、というか趣味の話とかをしてみたいほどに興味がある。
何年リクルートやねん既にタルルートやないか、女子社員全員透けてみれんのかい、
というような真っ黒い三つボタンの新入社員のような型のしかし10年はそれ一着を着回しているからテカテカのスーツの形には夏でも雪が積もっているし、デスクトップは涼宮ハルヒだったしストラップもなんか「SOS団」とか書かれていて、うーん、すげぇきになる。
そのようなステロタイプの井下くんはヲタクではなく、実は一点集中燃え尽き(萌え尽き?)型の
多趣味な人だと知っているので興味がある。非常に。だって机にはライダーカードと遊戯王カードとハロプロトレカがぎっしりなんだぜ?
それでいつだか飲みに行く機会を無理矢理に設けて、それは孟不自然という名の偶然を装って僕が連れ出したのだが、その時に嫁の話をすると「春画」のトレカ的なものをもっている、と。一枚かぶったので好いから試しに貸してーというと井下くんはちょっと見たこともないしあんまり見たくもなかった親しげ且つ同士を得たようなエローーーーい顔をしたが、弁解はすればするほど度坪だと僕は知っているので何となく違うよとだけにごしておいた。でもたぶん井下くんの中では嫁の話は作り話の前振りと言うことになっているに違いがない。いいんだけど。面白いから。
そうして手に入れた「春画」(のようなもの)を嫁にみせると「なんだこれーーー、ぐろいぃ!エゴだぁ」と非常に満足そうなので、嫁のことを可愛いなぁと眺めてニューオールドという矛盾を舐めていた。
そうだ。それで、そこに映っている男性器があまりにノンリヤルで、チンコっていうより、魔羅ってかんじだなぁ~と呟いたが最後、嫁はパラパラをかけて「マラマラ」を踊り出す始末。
ねーよそんな踊りは。
僕のこれからの課題と心配は、外出中に「でかまらー」と通行中の赤の他人に叫び出さないかどうかデス。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせて…]]>
ティンカーベルシンドローム
http://barairoend.exblog.jp/5308681/
2007-03-11T04:51:16+09:00
2007-03-11T04:51:16+09:00
2007-03-11T04:51:16+09:00
clonecogang
ちらしの裏が白い
私たちは法の下、人を殺していいわけでなく、殺されれば哀しいから殺してはいけないのであって、その悲しみを怒りや裁きにかえる権利を保障されているに過ぎない。ということを実際には忘れているように見えてならない。ここには、鶏卵の問題が生じるはずなどないのに、法の為の法を、探求している。医学の発達は是と全く同じ座標の反対のベクトルを向いているに過ぎない。医学の為の医学でなく、身内が死んで哀しいからこそ死を恐れ、不老不死を夢見るのだと信じる。
そのようにして既存のピーターパンを否定しておいて、何を語らんとするかと言えば、そのような子どもを捨てきれない少年のような男性と、別種族であるティンカーベルの立ち位置。
以下、メモ。
【メモ】
ティンカーベルはやきもちやき。
それよりも、種族の違いによる谷に甘んじているように映る。
ピノコ然り、で本気でいるのに相手に相手にされないようにも感ずる。
こんなにも好きなのに振り向いてくれないあなた、を好きな私。そのような面を感じる。
その上でピーターパンシンドロームに対し、ティンカーベルシンドロームを提示する。
恋人が居ることを受け入れて、恋人になりさえしなければいつまでも一緒にいられると信じている少女は、世代が変わっても普遍の思いだ。“始めなければ終わらない”それはある種の少女の永遠のテーマだ。彼女たちは己の恋心に終止符を、自分以外の人間に打たれることに恐怖する。
「私」の「この気持ち」を収束していいのは私だけなのだ。
誰にも回収されない為に。
その為ならば甘んじて「彼」の恋を受け入れる。
ティンカーベル達が欲しいのは終わる約束のない「相棒」という立場だから。]]>
春の夜の【後編】
http://barairoend.exblog.jp/5284715/
2007-03-07T00:37:13+09:00
2007-03-07T00:37:13+09:00
2007-03-07T00:37:13+09:00
clonecogang
偽国語(プールのあと国語)
春の夜梅の花をよめる
「春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」
(凡河内躬恒:古今集巻一・春歌上)
普通に訳すと
<春の夜の闇ってやつぁーなんて、矛盾したことをしやがるんでぇ。
梅の花の姿を隠しやがったって、(匂いがするじゃぁねぇーか)
匂いまで隠せると思ってやがんのかい?そんなことできねぇだろ?>
という歌。
まぁ、このおっさんのしゃべりが江戸前かどうかは別としてだ。
っていうか、平安って位だから京都の人だ。
内容としてはそうなんだけど、大体歌なんて、
古今東西反戦と恋愛の為にしか使われてねぇってコトを
わすれちゃぁいけねぇ。
や、100パー偏見だが。
この邪魔者のなにひとつない、美しい色彩の歌は
色恋に重ねない手はないんです。
テクスト論とはそういった手法だって学校で習いました。
作者の手を離れたら、「公」なんだよっ!
といいわけをしつつ…
まず「春の夜」といって思い出すのは
平家物語だ。
「春の夜の夢のごとし」
「春の夜の夢」は「儚い」って意味なんだけれど、
春がたとい陰暦の一月(今で言うおおよそ二月くらい)だとしたって冬至は終わっており
夜が短い喩えだということは、言うまでもなく
ちなみに「春」は「張る」(①一面に広がる、②芽が出る、芽ぐむ)や
「晴る」(②心が晴れる③ひらけている、広々となる)に通じ
末広がりのイメージ。これから始まるイメージ。
その「夜」(日没から夜明けまで)なわけ。
「夜」は「依る」(①もとづく②応じる)
「縒る」(ねじりあわせて一本にする)
「ヨ」と読めば「世・代」などに通じ「世界・世間・浮き世・男女の仲」。
次!
次「やみ」行きます。
えっと、「闇」は「病み」「止み」に読み替え可能で
「病み」の場合「心を痛める」という他動詞的意味があり
「止み」は「続いたものが終わりになる」「病気が治る、苦痛や怒りがおさまる」「死ぬ」
というそれだけ読むと相矛盾した意味が連なる。
「闇」は「光りがない。暗闇」のほかに「心が乱れ迷うこと。道理がわからなくなること」
という本来の意味と直接関係がある。
保留
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「あやなし」は「文無し」で「道理が立たない、わけがわからない」「むなしい。つまらない」
乱れまくってるのね。心が。掻き乱されてるのね。
これが風景を歌っただけの歌だなんて誰が信じて?
「梅」。昔から色の表現として用いられているが
「倦め」(「倦む」の已然形・命令形)に読み替えると
「嫌になる、飽きる、くたびれる」。
そして、今回の偽読みの主役!「色」
「色」なんて、「ようす、顔色」とか「情欲」とかどれでも好きなものをおとりなさいよ。
ああ、ああ、さっさともっていっておくれ!
と、いうわけで今回の「偽読み」もとい【現代感覚訳】
【現代感覚訳】
みじかい春の闇夜は、わけがわからない。おまえみたいだ。
明日に希望を思っては、突然やめるなんていったり。
それで言われてどうしたらいいのさ。
僕は疲れちゃうよ。
夜の紅梅。見えないけど、匂いまでは惑わせないんだよ。
どんな風に言ったって、ほんとはどうしてほしいか、隠せてないんじゃない?
古語の時代考証一切無し!苦情は一切、夕暮本部まで!]]>
春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる
http://barairoend.exblog.jp/5284297/
2007-03-06T23:54:54+09:00
2007-03-06T23:54:54+09:00
2007-03-06T23:54:54+09:00
clonecogang
偽国語(プールのあと国語)
ま、いいか。座右の銘が見切り発車だ。
杏より梅が固しだ。なんだそのオッサンのだじゃれは。
案ずるより産むが「易し」→「安し」→「高し」やじるs
せーつーめーいーをーやーめろっ!
はい、というわけでね、
夕暮ブランコないに於ける鈴木アヤ子名義の唯一のコラム欄
「プールのあとこくご~気分はもう放課後~」
のネタ帳改め「偽こくご」。
だって、恐らく作者の意図そっちのけだからね!
俺コラム。俺が楽しければそれでいいコラム。それが俺コラム。コロシアム、コンドミニアム、ミニマム……
しーかーたーなーいーんですっ!!
職場がわたくしともう一人を覗いて全て中年男性だからっっ!
本日の歌
「春の夜の やみはあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる」
(凡河内躬恒:古今集巻一・春歌上)
ぱっと見たらわかると思うけど
係り結びだらけだ。
ミソヒトモジだっていってんのに、このおっさんったら、二回も…イヤァン♡(グロ妄想)
ぱっとみて係り結びが二カ所も使われてるとわかるお利口さんは読まなくてよろしい!
このあとの一切が妄想です。
それより見てよ、この色彩を。
そして人間の五感のうちよりマイナーな方の知覚「嗅覚」を刺激する結句を!!
結句って言葉に心当たりがないおバカさんは読まなくてよろしい!!
このあとの一切は古典用語です。(嘘)
さて、お馬鹿さん達は放っておいて、本題に入る。
なげーよ。
作者は凡河内躬恒(おおしこうちの みつね)。
百人一首の「心あてに」の歌を詠んだ人。
どうでもいいけど北海道の百人一首は上の句を完全無視。
ほんとどうでもいいな。
北海道の百人一首は木札。
この年までそれがポピュラーだと思ってたよ。
長くなったな。
一旦CMはいります]]>
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