恋百物語
2007年 04月 08日
それじゃぁ色の話をしようか
例え話にはこれ以上を思いつかないんだ。 じゃあ、そうだな、僕がキイロという時に 僕のキイロと君たちのキイロは果たして同じだろうかということなんだよ もっというと、「信号の赤」ということばを(それにまつわる暖色全てを)介して 僕らは「信号の赤」について共有するけれどそれは本当に同じものを見ているのか 僕らが全員「赤」というとき 本当は僕には世界中が「緑」と名付けているような色が見えているのかも知れない。 それで通じてしまっているだけかも知れないんだ。 このことについては、うまくいえないけれど ことばなんていうものはその程度の曖昧さを持っていて この世界に「確固たる」ものなんてない。 まぁ、その考えのせいで僕は「赤緑色盲」のしくみを ついに理解することが出来なかったんだけど そんなことはどうだっていいんだ。「赤」という言葉で通じ合ってれば問題はない。 これは理科の問題ではなくてどうやら哲学の領分らしいからね。 だから僕と君たちが全然違うキイロを思い浮かべていたとしても ようは実物を持ってきてこの目で確かめればいいんだ。 全く問題はないよ。 ただ、その-実物を持ってきて確認する-ステップを踏まなくてもわかってしまうことがあったってだけだ。 今手元にはないし、それはあらゆる人間という人間に対応する 僕だけに与えられた特別な能力というわけじゃなかったけどね。 そうだよ。万人の言葉がわかりすぎるということではないんだよ。 ただ、それと見合うくらいの奇跡で、その奇跡のおかげで僕はある意味救われたんだ。 いやいや、そうじゃない。 僕ははじめに君たちに話したとおり 昔話をして誰かを責めたり、 嘆いたり、それこそ死にたくなったりしたいわけじゃない。 「ある」なんて思いもしなかったのに、「ある」としってしまって だけどいまは「ない」ことなんて割にあるものだよ。 僕がいいたいのはそうではなくて、 ああ、そうだね。きっとそれも大切だ。 いま「ある」ものは「なくなること」も出来るっていうこと。 だけどね、ただ僕は 僕のキイロはもう誰かのキイロを救えないかもしれないことを 誰かが救おうとして 僕が救われないということを-もちろん僕が救われる気でいることが前提だ- 一度だってみたくないんだ さ、これで僕の例え話は一旦おしまいだ。
by clonecogang
| 2007-04-08 18:32
| 私信
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