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バライロエンド
barairoend.exblog.jp
鈴木アヤ子のタダレた平日
明るいことを書いたなら明るい明日がやってくるのかという妄想の果てに
他人のブログなんかを見ていたらなんだか羨ましくなるのが世の常というもので
様子がおかしい
まあいいんだけど

きょうで採点も終わり
何が恐怖って評価ね。

あ、鈴木は離島の高校教師から
地元の中学教師にランクが変わりました

ランクアップとかランクダウンとかはさておき
酒浸りの毎日で
全く痩せません

最近は酔うとうっとうしい

ところで最近
何を書いたかって結局青春巻き返しゲームだ

それにくわえて地元に就職なんかしてしまったので
幼稚園から高校まで多彩な同級生と酒を酌み交わす日々
ネタになるのはイイコトだけれど

砂の果実がやたらに染みるわ
# by clonecogang | 2008-06-28 02:28 | 雑記
わたく詩
書けないことは恥ずべき事か?
まさか命に関わらない。
書けないことは喜ぶべきか
煩悩だけが雨霰。
齢24となって
いまだ信仰すべき神が見つからず、
詳しい世界が定まらず
知ってる言葉で見事ごまかす。
書けないことは恥ずべきか?
書けないことを喜ぶべきか。
ああ、こんなにも欲求不満。
欲求が満たされず、それで食事に走ってしまうか。
何をもかにをも諦めて
それで聖職に就いたというのに。
だのに!
書けないことを恥じている。
書けないことを喜んでいる。
# by clonecogang | 2008-01-21 23:29
なんにもかけないいい
書けないと云うのに書きたい。部屋が汚い。
洗濯してない。
ビール飲みたい

週末わかったこと
×××ホリックが面白いと云うこと。
赤灯エレジーが面白いと云うこと。
畜生温ビール飲んだる
# by clonecogang | 2007-10-28 20:55 | 雑記
レビュー:センセイの鞄
初めてか。長く書くことは。

なにとなく、本の話には食いつかないわけにはいかない。

それで一番はじめに思いついたのが「溺レる」だったのだけれど、印象はといえば何とも形容しがたかったので、はじめて読んだ川上弘美をタイトルにあげておく。

それは読んだことのない文体だったので、大変に思いが強い。ananで紹介されており、その頃のananはまだ白黒ページがあり、ブックコーナーは信用に値した。なにせエドワードゴーリーを初めて知ったのもananのブックコーナーだったのだから。ananも一時期のニキータ意識でガツガツと「負け犬」世代をターゲットにするのをやめてだいぶ落ちついたのでそれは良かったけれど、10年近く前のカルチャーを推し出す力は残っていなく、なおかつ、今日は川上弘美について書こうと決めているのでとりあえずその話は又後日、「バライロエンド」のほうで。



川上弘美を初めて読んだとき、あたしは高校生でそれまでもその時も先生ばかりが好きだったので、アワアワとした文体に潜む濃密な、かつ渇いたセンセイへの思いと、それからセンセイとの関係に憧れるばかりだった。会えるわけがないと知りながらツキコさんの真似をして、センセイ、センセイと雪の道を空を見上げて、父親と同じくらいの年齢の英語の先生を想って呼び続けたりした。



そのような情緒的なことはさておき、酒と食事の描写がすばらしいのが川上弘美のようだった。
「ようだった」というのは、あたしがすばらしいすばらしいと思っているというのに、様々なひとが同じように食べ物の描写を褒めるので、あたしの意見なのかどうなのかわからなくなってしまう変な嫉妬が出てくるからだ。

抜群にすばらしい。

先述「溺レる」においても「シャコ」「ビワ」「新香巻」……エトセトラエトセトラ
どれをとっても唾液が出てくる。
だいたい、食べ物の描写が素晴らしい話に外れはないのだ。なぜなら食べ物の描写が素晴らしいというだけで、一つの作品だから。美味しんぼよりも「ミスター味っ子」。あの肉汁の描写ったらない!!

食べ物の描写がすばらしい大賞・アニメ部門はダントツで「アルプスの少女ハイジ」。

山羊乳・白パン・暖炉であぶってとろけるチーズ・木の器…そして水。ハイジの家の外にある水道から絶えず流れる水!!!
食べ物の描写がすばらしいと云うことはそれだけで一つの「善」だ。「平和」だ。

わたくしごとだが、わたしは食べ物の味がわからない。「おいしい」「おいしくない」がわからない。
そんなロボットみたいな食事を毎日強いられているというのに、「ワカル」のだ。
それがぜったいに「うまい」ということが。



川上弘美の作品に出てくる飯。酒。肴。
あれは絶対にウマイのだ。実在してはイケナイのだ。手に入らなくて焦がれるためだけの食事。だからこその究極の美味。至福。
キノコに汽車土瓶入りのお茶、日本酒、ビール、湯豆腐、駅弁、冷や奴……エトセトラエトセトラ。



ここのところの川上文学にはうまそうな食い物が出てこない気がする。
それは先入観から来る期待はずれなのか、それとも読み飛ばしているのか。
ニシノユキヒコにはすでにうまそうな食べ物は出てこない。


どこかリアルなのだ。



あたし達はいつか本気でお菓子の家を食べたかっただろう。
チョコレートの窓枠、ビスケットの壁、キャンディーの窓ガラス……


口の中一杯に、現実には得られないのに何故かわかりすぎてしまう幸福が広がったはずだ。
そこにリアル(あるいはリアルを前提としたファンテジー)が介入してしまうなら、そんなものあたし達にも買えてしまう。もっとうまい物をきっと作れてしまう。

江國香織やよしもとばななのチルドレンでももっとファンテヂーだ。



ところでうまそうな食事を描く作家に武田百合子と内田百閒をあげておく。
彼/彼女を川上弘美は相当読んでいる。武田百合子の描く「ビワ」も相当うまそうだ。
だからあたしは「枇杷」を食べない。
# by clonecogang | 2007-10-12 22:46 |
キャンディ
 キャンディと言えばあたしはキャンデスホワイトアードレーで、例の発禁本などでないことがあたしの無知を露呈させる。露呈させるなんて難しい言葉使わないで「ボロが出る」ってはっきり言えばいいじゃない。
 それでキャンディについて考えている。スウィートキャンディという名の白い薔薇のことや、飴玉を交換する少年のことを色々と考えているが、キャンディとはすなわち、お姫様なのだとぼんやりと思っている。その中の誰のことも決して好きには成らないのだけれど。そうして、初恋の人と結ばれるお姫様の名前。
 キャンディキャンディはあたしの教科書で、バイブルなんて云いたくないから、敢えて教科書ではあるけれど別にそれに習おうってわけではない。ただ、ずっと悲恋の話だと思っていたのに大人になった頃、誰から云われたのかなんて忘れてしまったけれど、あれは初恋が実る話だよと云われて救われた。事だけを覚えている。
 丘の上の王子さまとウィリアム大おじさまとアルバートさん。
 子供心にウェディングドレスがみられないから物足りないのだけれど。
 
 それでキャンディという概念を思っている。そこで詰まる。話はわかるんだ。取り巻きの男の子がみんなその子のことを大好きで、もちろん自分が好きな相手も大好きで、しかし自分が好きになった相手は不幸になっていく。それは初恋の君と結ばれるために。アルバートさんにとってキャンディは若紫だ。
 アルバートさんには姉が居て、病弱で、アルバートさんが若い頃に亡くなってしまうのだけれど、それがアンソニーの母親で、二人は同じ女の幻影を追ってキャンディに行き着く。アンソニーは母の面影を重ねるけれど、アルバートさんにとっては結ばれることのない女性(=藤壷)の面影を持つ少女(=若紫)を、ウィリアム家を飛び出して放浪中に発見し、影ながらバックアップをする。
 
 だから、キャンディキャンディはアルバートさんが若紫の後見人となり、紫の上(レディ)に仕立て上げていくマイフェアレディ的要素が主軸としてある事になる。そうして光源氏でなく紫の上を主人公に据えた物語だ。

 と、書きながら気付いた。
 
 と、いうわけで、マテリアルメモ。
 いがりほのかの皆さん、ワタクシはこの線でいきます。
# by clonecogang | 2007-09-26 00:38 | 雑記
あれは人の飲み物じゃないからね
牛乳すら吐いてしまったのだ、と教えたのは薬局のおっちゃんが最近体どうですかなんて親切に訊いてくるからだ。胃カメラをのんだけれど、なんともなかったんだけれど、未だに胃が痛くて胃にいいと思って飲んだ牛乳すら吐いたのだ、という流れで伝えるに至った。それで薬局のオッちゃんは「あれは牛の飲み物ですから」と慰めなんだか医学的知識なんだかわからないことを24にもなって自傷をやめられない高校の先生に向かって云う。
絆創膏を買いにきたのだ。
ところで北海道では「サビオ」もしくは「サビヨ」っていう。
絆創膏といえばガーゼをとめるあのテープだ。
或いはカットバンという。

牛乳すら吐いてしまうがビールをたらふく飲んでいる。まぁ、吐いてしまうのだが、一向に痩せる気配がない
# by clonecogang | 2007-09-10 23:55 | 雑記
校内殉死
こんな戯言、誰が聞いてるって?
僕がさ、僕が聞いているよ。ちゃぁんとね。
とはいいつつこれは自己完結何じゃなくって?
――ハイライトは最後の一本だったというのに僕は再び車へ立ち返る

だからこんな戯れ言誰が聞いてるって?
僕がだと云っているじゃないの。さっきからそればかりだ。

屋上へ続く階段は非常扉と同じ素材の鉄で閉ざされており
その扉はあたしのサイズにピッタリだった。
160センチもない扉。
かがむこともなく、かといって高すぎもせず、ちょうどあたし一人が通るのにピッタリだった。
それなのに鍵がない。

――いいですか、二点には鍵がかかっていてこれを読むためには一点まで降りていって鍵をとるしかない。鍵をとったら脇目もふらず二点に舞い戻るしかない。それしか君たちに選択肢はない。
――上下点と一二点の関係は山括弧と括弧の関係とほぼ同等です。

それが四限目あたしが発した最期の言葉

屋上へと続く階段は重たい鉄の扉で閉ざされていて
その扉はあたしが通り抜けるのにあまりにピッタリだった。
# by clonecogang | 2007-08-27 23:43 | 散文
アレルギー
銀助を思う。銀助が肩を掴むことを思う。ねぇ、銀助。
銀助の頬を唇でなぞり耳朶を口に含むと狡いよといった。狡いと言って同じにするので私は必死にそれをかわす。銀助の口の中には何故かいつも飴玉が入っていて、その日は二人で分けて私が好きではないといって追いやったオレンジの飴玉。
もう戻れないのか。
オレンジの飴玉のことを思う。
ああ、なんだか味蕾を刺激するその酸味が疎ましかったのだ。
銀助。
銀助と二人で隠れてキスをしたこと。
銀助が名を呼んだこと。
ありふれた私の名を、呼んで会いたいと言ったこと。
銀助が寒がって掌を委ねたこと。
それから乳房に触れたこと。
それ以上はもうどこにも行けない。
姉であることを、自覚しなければならない。
どこにだって先には行けないのに。
結ばれてはいけない。ましてここは「おうち」だから。
あたしたちの、恋をする場所ではないから。
もし君が、大人になってそれで帰ってきて、錯覚ではないと、証明できたら。

アレルギーのようにしてあたしは銀助を思い
胸を高鳴らせ
体を火照らせて
そしていつでも眠たい。
銀助に明日会えるまで、そうして誰も寝静まった後で
ひっそりと口づけを交わすまで。
あたしはそれまで寝ていたい。
# by clonecogang | 2007-06-12 23:09 | 散文
小さなこ
それで文子のことを思う。

私の名前は鈴木アヤ子。
恋人は「鈴木」と名乗っていると聞いて
すぐさま鈴木いづみから拝借したのだろうと見当をつけたが
そうではなくこれはあたしが手離せない同級生から
そうしてアヤ子は文子から。

緒乃文子という子がいたの。
文子とは直接の面識がない。
文子とは16の時に出会った。
文子は詩を書いていた。

文子はアタシが通いつめる詩のサイトで何度も見かけて
そのとき彼女はBABYと名乗っていたの。
こんなこと書いたら、怒られるのかしら。

そのような経緯で交流をするようになり
(どういうわけか彼女は私の書くものを好きといった)
そのときはリセット病でいくつも名前を使っていた私に
「クロエ」っていう名字なのかと思ったわといって
それでいまでは「黒江ウイカ」で詩を書いている。

文子は美しい詩を書いた。
あたしの詩なんていうものは、
文子と出会ってその先は
殆ど文子に気に入られるために書いたもので
未だに自分が書いた気がしない。

今年の2月頃電話があって
一人で飲んでいて思い出したの
といって何だかやかましいところから電話をかけているようで
それで5分としないで電話は切られてしまって
あたしは文子のアドレスをよく知らない。
生きてはいるようで、
だけどそのあと結局連絡を取らないでいる。

緒乃文子で検索をすれば
かの女が消し忘れた幾つかの詩が未だネット上に残っているが
かの女はすでにうたわないので
もう、アタシにはなにも書けない。書けないという危惧


それでふと文子を思い出したのは
もう、私は何も感じないのだな、と感じたためだ。
# by clonecogang | 2007-06-03 23:41 | 雑記
恋百物語
それじゃぁ色の話をしようか
例え話にはこれ以上を思いつかないんだ。
じゃあ、そうだな、僕がキイロという時に
僕のキイロと君たちのキイロは果たして同じだろうかということなんだよ
もっというと、「信号の赤」ということばを(それにまつわる暖色全てを)介して
僕らは「信号の赤」について共有するけれどそれは本当に同じものを見ているのか
僕らが全員「赤」というとき
本当は僕には世界中が「緑」と名付けているような色が見えているのかも知れない。
それで通じてしまっているだけかも知れないんだ。
このことについては、うまくいえないけれど
ことばなんていうものはその程度の曖昧さを持っていて
この世界に「確固たる」ものなんてない。
まぁ、その考えのせいで僕は「赤緑色盲」のしくみを
ついに理解することが出来なかったんだけど
そんなことはどうだっていいんだ。「赤」という言葉で通じ合ってれば問題はない。
これは理科の問題ではなくてどうやら哲学の領分らしいからね。
だから僕と君たちが全然違うキイロを思い浮かべていたとしても
ようは実物を持ってきてこの目で確かめればいいんだ。
全く問題はないよ。

ただ、その-実物を持ってきて確認する-ステップを踏まなくてもわかってしまうことがあったってだけだ。
今手元にはないし、それはあらゆる人間という人間に対応する
僕だけに与えられた特別な能力というわけじゃなかったけどね。
そうだよ。万人の言葉がわかりすぎるということではないんだよ。
ただ、それと見合うくらいの奇跡で、その奇跡のおかげで僕はある意味救われたんだ。


いやいや、そうじゃない。
僕ははじめに君たちに話したとおり
昔話をして誰かを責めたり、
嘆いたり、それこそ死にたくなったりしたいわけじゃない。
「ある」なんて思いもしなかったのに、「ある」としってしまって
だけどいまは「ない」ことなんて割にあるものだよ。
僕がいいたいのはそうではなくて、
ああ、そうだね。きっとそれも大切だ。
いま「ある」ものは「なくなること」も出来るっていうこと。
だけどね、ただ僕は
僕のキイロはもう誰かのキイロを救えないかもしれないことを
誰かが救おうとして
僕が救われないということを-もちろん僕が救われる気でいることが前提だ-
一度だってみたくないんだ

さ、これで僕の例え話は一旦おしまいだ。
# by clonecogang | 2007-04-08 18:32 | 私信